御祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)

 

 建久元年(1190年)6月7日、後の高森城主となる伊沢家景が京都の祇園から勧請、岩切村余目に鎮座し、神田二十石の地を治めた。その後、岩切村台ケ原頂上に座して天王山と称したが、戦国天正の頃より社殿が荒廃し、祭事を欠くに至った。

 藩主伊達政宗は寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田二石の地を寄進して厚く祭事を行う。神仏習合の際より祇園牛頭天王社と称したが、明治の初めに現社号(八坂神社)に改め、明治6年に郷社に列し、大正3年12月に幣帛供進社に指定。明治43年4月。各区内鎮守社を本社に合祀した歴史を持つ。

 

冠川神社は志波彦神社の名でも知られている八坂神社の境内社である。天正に縁起を焼失し、沿革不詳だが本社は延喜式内名神社志波彦神社で、いつの頃か甚だしく衰微していたが、延宝3年(1675年)の再建には堅石五尺横六尺の小祠になり、しかも摂社である祇園牛頭天王社(現八坂神社)と並び立つ様であった。

 明治4年5月14日、官国弊社規定に当り国幣中社に列せられたが、社地が狭いため社殿の造建不可なる理由により、明治7年12月24日に塩竈神社へ遷座。明治10年3月31日に官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷して、冠川神社と称し、国幣中社志波彦神社の摂社に指定された。